ジャングル大家への道⑤
どうも、ジャングル大家です。
昨日の続きを(・・;)
全財産101円の青年が
少しずつ這い上がるわけですが。
たしかお師匠のアトリエからは
徒歩で帰宅した記憶があります。
あれだけ公共交通機関の多い東京で
足で距離を稼いだのは自分くらいじゃない
ってくらいに東京を歩きました(・・;)
とりあえずは
日雇い現金即払い
のバイトを毎日して
食いつなぎました。
でももう東京にいる意味なくない?
ってふと思い
地元に帰省することにしました(・・;)
ただめちゃくちゃ嫌でした(・・;)
あれだけ暖かく送り出してくれた家族や友達に
ボロボロになった姿を見せるのは
本当に嫌でした(・・;)
そんなプライドいらないのにね(・・;)
銭も持たずに体一つで帰るのも嫌だったので
住み込みでまとまったお金を稼いで
帰省することにしました。
2ヶ月くらい住み込みで働いて
80万くらい握りしめて帰ったかな?
高卒大学中退
資格特になし
自己肯定感爆下げ
何もする気が起こりませんでした(・・;)
大学を中退してから
社会に出て働き始めましたが
ずっとやりたいことだけをやっていました。
それがある日やりたいことが
何一つなくなってしまって
どうやって生きていけばいいのか
わからなくなりました(・・;)
みんなやりたくない仕事をやってるの?
それを後40年くらいやるの?
仕事=生きがい
で生きてきましたから
休みの日の過ごし方や
趣味の時間
友達、女の子と遊ぶ
なんてほとんど考えてなかったんです(・・;)
今思えば
とりあえず働けよ!
ってつっこみますけど
当時はよくわからず
怠惰な生活を送ってました(・・;)
でも何がきっかけか覚えていませんが
ふと思い立って何でもいいから
仕事をすることにしたんです(・・;)
東京での生活で学んだ
生きていくだけでお金はいる
ということもあるし
何より
やりがいやたのしみは
後付けしてしまえば大丈夫
って自分の面倒くさい頭の中を
丸め込んだんです(・・;)
人生のハードモードを経験したんだから
これからどんなことがあっても乗り越えられる
父の影響もあったと思います。
不動産賃貸業がある程度安定した
尚且つ無借金でやっていたので
返済という家庭へのダメージなしで
物件を回してました(・・;)
それでも生活水準をあげることはなく
反比例するように余裕が生まれたように
思えました。
家賃は全て不動産賃貸業へ回す。
家族への現金という形でのリターンはなし。
母からクレームは多少ありましたが
経済的な余裕がなくて
ピリピリする家庭
よりかはいいんじゃないですかね(・・;)
よくあるサクセスストーリーなら
つまづいても立ち止まらずに
そこから這い上がって
成功するのがセオリーですが
僕はそんな非凡な人間ではないので
自分のペースでやっていきました(・・;)
こういう目線のブログがあっても
面白いんじゃないですかね(・・;)
そろそろ大家さんを始めるとこを
書き始めるのでもう少しお待ちください(・・;)
情報過多の社会なので
SNSを開けば
自分より良い生活している人は
いくらでもいます。
でも
自分の成功と失敗の線引きは
自分自身で決めてしまって
自分なりの幸せな生活を送ればいい
って思います(^^)(^^)
世界規模でみれば
日本で生きていけてるだけで
豊かな生活を送れていると思います。
よそを見れば
自分を肯定することも
否定することも容易い
ですが
見るよそを変えれば
いいだけ(^^)(^^)
つづく